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明治40年頃の本殿と拝殿です。
手水舎が見えます。今は石段下にありますが、この頃は、石段の上にあったことがわかります。本殿と拝殿の間の弊殿は建物がなく、渡し板のような形になっていました。江戸時代の建物ですので、明治時代には何度か屋根替えや改築を行っています。
大正時代の本殿と拝殿です。
大正2年と6年にかなり大がかりに修繕しました。手水舎が石段下に移築され、拝殿には欄干が増築されて間口が広くなりました。
明治時代の拝殿です。
@と同時期です。拝殿左側の神饌所は、現在も倉庫として残っています。また狛犬も拝殿前に今も変わらず鎮座しています。着物姿の子どもたちが写っています。明治12年の記録には小学校の生徒数男子42名 女子19名とあります。
大正時代の拝殿です。
Aと同時期です。Bに比べて構えが大きくなっています。狛犬にはよだれかけがつけられています。信者の方が奉納される習わしは今も変わっていません。
現代の拝殿です。
昭和49年に造営されました。屋根が瓦から銅板になりました。多くの奉賛者の名前が玉垣に刻印され、境内を囲んでいます。
明治時代の一の鳥居です。
参道入り口右手にお茶屋がありました。この前の道が、吹田と豊中を結ぶ道だったので、そこを通る人やお参りの人が立ち寄っていました。うっそうとした松の木が茂り、左右は水田でした。
垂水の滝です。
千里丘陵の開発がされていなかったので、ほとばしるように水が落ちています。近隣一円の水田に水を送っていました。
高樋址です。
孝徳天皇の御代に、高樋をかけて水を難波宮に送った址が、明治時代まではありました。
楠社と小滝です。
御旅所から遷座された楠社です。明治初期に神社でお祭するようになりました。小滝のすぐ脇にあります。
明治時代から昭和40年代までありました。水道がなく、滝の水と井戸を使用していました。総代会議に参加される総代さんが、広芝から田んぼのあぜ道を通って提灯を持って歩いてこらていたと聞きます。
明治時代に刊行された案内図です。基本的な形は変わっていませんが、石段や鳥居などに若干の違いがあります。説明書きには、滝の水が甘味であること、浴する人が多いことが書かれています。