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1360年の歴史と広大な鎮守の森、そして万葉集に詠われた垂水の滝。

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〒564-0062 吹田市垂水町1-24-6

境内案内facilities




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本殿

施設写真

銅版流造、三間二面社 五坪。
ご祭神  豊城入彦命・大己貴命・少彦名命


江戸時代からの御本殿が老朽化したため、昭和49年に拝殿、弊殿とともに全面的に造営されました。氏子中から奉賛金を募り、元の基壇を触らずに建てられました。ご祭神の豊城入彦命は第10代崇神天皇の第一皇子で、第11代垂仁天皇の兄上です。四道将軍として東国に向かいその地を治められました。その遠征の第一歩がこの地といい、初代宮司垂水公はその子孫です。


弊殿 拝殿

機器写真

弊殿 銅版切妻造一間二面 三坪
拝殿 銅版入母屋造唐破風向拝付二十二坪


明治以降何度か改築し、大正2年と6年にかなり大がかりに修繕したものの、老朽化は進み、昭和49年、本殿とともに新に造営し、同年10月19日正遷宮を奉仕しました。鎮守の森を背景に青い銅版の屋根が美しく映えています。(古い写真に見る神社参照)




皇太社

施設写真ご祭神 伊佐那岐命 伊佐那美命 天照大神

伊勢神宮と同じ神さまをお祀りしています。
全国の神社には伊勢を遙か(はる)遠くから拝むという遙拝所(ようはいしょ)が設けられているところがありますが、当社ではお社を建ててお祀りしています。
昭和60年に新しく建て替えられました。




祓戸社

機器写真ご祭神 息吹戸主命 瀬織津比売命 速開津比売命
    速佐須良比売命


祓戸大神である四神をお祀りしています。
春秋の大祭に参列する神職、氏子総代は、ここで祓いを受けてから、拝殿に参進します。
この四神は大祓詞に出てくる神々で、(まがつ)こと、災いごとなど、穢れを祓い清めて下さる神々です。





戎(稲生)社

施設写真ご祭神 金山比古命 金山比売命 
    豊宇気比売命 事代主命

鉱山の神である金山両神と食物の神である豊宇気比売命、五穀豊穣と商売繁盛の神である事代主神が祭られていることから、戎社や稲生社として尊崇されてきました。1月10日には十日戎の祭礼が行われ、福笹などの縁起物を求める人々で賑わいます。




楠明神社

機器写真ご祭神 大綿津見命 市杵島姫神

もとは垂水町3丁目にお社があり、そこで祭られていましたが、明治時代に神社に遷されました。しかしその後、やはり元の場所でもお祭したいとの氏子の願い出により、ふたたび垂水町3丁目にお社が建てられましたので、現在は2ヶ所でお祭されています。現在のお社は昭和60年に再建されました。







三輪社

施設写真ご祭神 大物主大神 

昭和30年頃、奈良県桜井市の大神神社(おおみわじんじゃ)から勧請しました。お山をご神体とする大神神社は、垂水の山を鎮守の杜として尊崇する垂水神社と共通点があり、さらには大神神社の配祀神と垂水神社の相殿神がともに、大己貴神と少彦名神であることなどもあり、勧請にいたったとのことです。




高登社

機器写真神心講という講の人々がお祭しています。
もとは大阪市内でお祭されていたそうですが、昭和30年代にこの地に遷されました。多くの神がまつられており、春と秋に講社の祭礼が行われています。





政社

施設写真ご祭神 政大明神 

昭和30年代に当社社家がお祭するようになりました。長患い除けの神さまです。平成23年、老朽化したお社を再建しました。狛犬2対があり、台座には奉納者のお名前が刻まれています。






不動社

機器写真神社西方にあった栽松寺が明治初めに廃寺となり、仏像や法具が当社と近隣2ヶ寺(明誓寺と憶念寺)に預けられました。栽松寺は江戸時代の領主森氏(織田信長家臣森蘭丸の一族)の菩提寺とも伝えられ、また雉子畷伝説の岩氏の娘が尼として住んだとも伝えられていました。廃仏毀釈の波が去ってしばらくして、こちらに祠が築かれ、不動明王が安置されて現在に至ります。2月3日に節分祭が行われる他、毎月8日に不動社祭が行われ、護摩焚き神事が執り行われています。節分祭では厄年の人が奉納した小豆をぜんざいにして参拝者に振る舞います。





万葉の歌碑

施設写真いわばしる 垂水のうえの さわらびの
     もえいづる春に なりにけるかも


平成のご即位記念として万葉集の志貴皇子のお歌の石碑が建立されました。1300年、絶えることなく流れ出る垂水。皇子のお歌はこの垂水をお詠みになったものだということを広く伝えるため、氏子崇敬者200人余の奉賛で完成しました。





垂水の滝(本滝)

機器写真本殿の背後から湧き出る水が集まってここに落ちてきます。この水が、孝徳天皇の御代旱魃に苦しむ難波宮に引かれ、その功績で垂水という名前を頂きました。攝津名所図会にも出てきますし、境内の燈籠には、この水を使って新田開発をしたことが刻まれています。地元を潤す命の水でありました。今も水道水よりはずっと冷たく、あたりに放つ霊気の著しいことは、近づけばわかります。検査をしておりませんので飲料水としてはお薦めできませんが、どなたでもご自由に汲んで帰ることができます。大阪府のクールスポット100選でも紹介されています。






狛犬

施設写真

垂水村から大坂の薬種商吉野家に養子となった吉野五運が享和2年(1802年)に実家の一族とともに奉納しました。台座には雷の如き眼光で宮を衛ると書かれていますので、もう200年以上、神社をお守りしています。ふくよかで大変愛嬌のあるお顔です。


表参道〜一の鳥居と燈籠

機器写真

本殿に続く石段の下から100b以上続く表参道です。近年の宅地開発で両側ぎりぎりまで住宅が迫っていますが、松の木、鳥居、燈籠、社号標があり、春秋の祭礼では屋台がぎっしりと出されます。鳥居はおそらく元禄以降、燈籠は南端が慶応元年(1865年)中程が大正2年(1913年)、北端が明和元年(1764年)の建立です。社号標は明治41年(1908年)です。


垂水神社1360年の歴史と広大な鎮守の森、そして万葉集に詠われた垂水の滝

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