本文へスキップ

新しい視点で○○○を活動する 

ご案内information

垂水の滝について

西暦645年、乙巳の変により、蘇我氏が滅び、飛鳥の都が難波長柄豊崎宮に遷されました。その後即位した孝徳天皇は初めて元号を大化と定めました。それからもう一度都が奈良に戻るまでに、この地で旱魃があり、都の水が涸れてしまいました。そのとき、この地に湧き出て流れ落ちる水だけが涸れなかったため、当地の領主にしてご祭神豊城入彦命の子孫である有馬公が、宮中まで懸け樋を通して、水を届けました。孝徳天皇はこれを大変喜ばれ、有馬公に垂水という名前を授け、垂水神社を司るようお命じになりました。以来この地は垂水と呼ばれることになりました(新撰姓氏禄より)。そして湧き水は垂水の滝としてこの地を潤し、病を治す水として近隣にとどまらず遠方からも汲みに来る人がたえませんでした(摂津名所図会より)。

地図

境内に残る灯籠には、この水を使って新しく水田を開いたことを記念して奉納したという文章が書かれています。千里丘陵の降る雨水が地下水脈を通り、崖となる神社境内からわき出していたと思われ、新田開発ができるほど豊富な水量があったことがわかります。

やがて昭和の戦争を経て復興の時代となり、名神高速道路や千里ニュータウンの建設が始まると、吹田三名水のうちの泉殿宮の霊泉は枯渇し、佐井の清水もほぼ枯れて手に取ることはかなわなくなりました。が、垂水の滝は、決して枯れることはなく、今日にいたっています。(白黒写真は昭和初期の滝 カラー写真は現在の滝)



           

                    













垂水の森を守る会

〒564-0062
大阪府吹田市垂水町1−24−6

TEL 06-6384-1526